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肩こりというかたまり
今日は私なりにいろいろ思うところがありました。
鍼灸師として、人として。
私は私にできることを。
思いを繋ぐこと。
言葉で繋ぐこと。
行動で繋ぐこと。
やらなくてはならないこと。
やりたいこと。
見つめ直していこうと思います。
さて、話は変わりますが、今日はコリ・凝りのこと。
凝り=コリ、こり。
「凝り(こり)」という表現が普通に使われるのは「肩こり」という表現をする時くらいでしょうか。
最近は「首こり」と「肩こり」を分けて言われることもあるのですが、、、
私は同じことだと考えています。
解剖学や運動学で捉えれば違うので理屈では異なるものですが、一連の施術の中では同じことです。
どちらにしてもその凝りが改善するかしないかということですから。
「凝り」は体の他の部分にはあまり使いません。
腰がかたい、とか、腰が痛い、とかはありますけど。
また、肘など上半身には「凝り」という表現が使われますが、下半身の膝や足などはほとんど使われません。
さて、ここまで書いてきたのは物理的に「かたい」状態としての凝りですが、凝りという表現にはそれとは違う要素も入ってきます。
それは
感情
肩こり、腰のこり、肘のこり、、、
こんな表現がされた時は何らかの感情が伴っているように感じます。
息苦しいような肩こり
煩わしく感じる肩こり
切り取ってしまいたいような肩こり
肩こりを感じない人からすると「切り取りたいなんてあるの?」となるかもしれませんが、そんな表現をされる方は結構いらっしゃいます。
そのくらい地味につらいのが凝りなんですよね。
感じる凝りと感じない凝りがある
で、感じる凝りは「煩わしい」という気分がセットになっていることが多いように思います。
だからこそ、凝りが無くなった時は気持ちの面でも楽になったりするものなんですよね。