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肩こりというかたまり
今日は私なりにいろいろ思うところがありました。
鍼灸師として、人として。
私は私にできることを。
思いを繋ぐこと。
言葉で繋ぐこと。
行動で繋ぐこと。
やらなくてはならないこと。
やりたいこと。
見つめ直していこうと思います。
さて、話は変わりますが、今日はコリ・凝りのこと。
凝り=コリ、こり。
「凝り(こり)」という表現が普通に使われるのは「肩こり」という表現をする時くらいでしょうか。
最近は「首こり」と「肩こり」を分けて言われることもあるのですが、、、
私は同じことだと考えています。
解剖学や運動学で捉えれば違うので理屈では異なるものですが、一連の施術の中では同じことです。
どちらにしてもその凝りが改善するかしないかということですから。
「凝り」は体の他の部分にはあまり使いません。
腰がかたい、とか、腰が痛い、とかはありますけど。
また、肘など上半身には「凝り」という表現が使われますが、下半身の膝や足などはほとんど使われません。
さて、ここまで書いてきたのは物理的に「かたい」状態としての凝りですが、凝りという表現にはそれとは違う要素も入ってきます。
それは
感情
肩こり、腰のこり、肘のこり、、、
こんな表現がされた時は何らかの感情が伴っているように感じます。
息苦しいような肩こり
煩わしく感じる肩こり
切り取ってしまいたいような肩こり
肩こりを感じない人からすると「切り取りたいなんてあるの?」となるかもしれませんが、そんな表現をされる方は結構いらっしゃいます。
そのくらい地味につらいのが凝りなんですよね。
感じる凝りと感じない凝りがある
で、感じる凝りは「煩わしい」という気分がセットになっていることが多いように思います。
だからこそ、凝りが無くなった時は気持ちの面でも楽になったりするものなんですよね。
おしくらまんじゅう
朝夕は肌寒くなりましたね。
昔からある冬の遊び(夏でもやったけど)の1つにおしくらまんじゅうがあります。
古い遊びだから知らない人もいるかも(笑)
私も子どもの頃はやりましたし、小学校の体育の授業でもやったことがあります。
遊びでもあり、運動でもあり、コミュニケーションでもあったように思います。
でも今は遊びの場で見かけることはないように思います。
おしくらまんじゅうは古臭く感じる遊びですが、いろんな意味でとても面白い遊びです。
子どもの発育を考えるとすごーく有効ですからね。
子どもの体力低下や筋力低下が言われるようになって久しいです。
このことが言われ始めた頃の子ども世代も既に大人。
学校では体力測定が実施されているために子どもの体力ばかり言われますが、実際は子どもでも大人でも体力や筋力は低下しています。
生活が便利になった反面、意識して体を動かさないと基礎的な体力すら身につかない社会になってしまったということです。
私自身、仕事以外で積極的に運動する時間はあまり多くありません。
学生時代に養われた体力を少しだけ残しているという感じです。
まぁ、それもほんのカケラ程度ですけどね。
子どもの体力は遊びで身につきます。
それは赤ちゃんの頃から始まっています。
興味を持ったものに触れようと必死で動く。
まぁ、これは遊びというより本能ですけど。
親の後をハイハイしてついて行く。
まぁ、これも本能と言えます。
でも、遊び自体が本能ですからね。
自分で立てるようになれば更に動きまわり目が離せません。
そんなことから子どもは自然に体力をつけていきます。
幼稚園や小学校に入ると遊びも高度化していきますが、体を動かす遊びの中で体力を養っていくのは変わりません。
体力だけでなく知力やコミュニケーション力など遊びの中で身につくことはたくさんあります。