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上実下虚
12月は例年のごとくバタバタ。
どうしても調整がつかない時もあったりで申し訳なく思います。
さて、、、
私は体力がある方です。
滅法強いわけではありませんが、それなりに自信があります。
だから忙しいこと自体は体力で乗り切るだけなのでどうということは無いのですが、、、
頭を使いすぎると疲れます。
ぐたーっと。
頭を使いながらでもどんどん動いている時は良いのですが、頭ばっかり使っているとオーバーヒートします。
バランスの問題ですね。
昔から頭寒足熱が良いとされています。
頭は熱くなく冷静でいて、足はあたたかい状態が理想です。
何らかの不調の時にも、頭を温めることはほとんどなく、足を温めるのは多いものです。
*頭にお灸をすることがありますが、それは頭の熱をとるのが目的です。
その時々で逆転することがあっても、自然と頭寒足熱の状態に戻れば良いのです。
歩くことが健康に良いとされているのも、足を使うことで全体のバランスがとれるからです。
体を使って動くことより頭を使うことが多すぎる状態が続かなければ、たいていは戻ってきます。
忙しいとテンションが上がったりしますよね。
上がっているから気分は悪くないんです。
でも、無駄に上がる時もあるから、そういう時は要注意。
そういう時こそ頭寒足熱が逆転している時です。
頭寒足熱が逆転した状態のことを鍼灸では上実下虚と言います。
上はパンパン、下はスカスカ。
実際に首や肩のコリがパンパンにひどい時は、腰がゆるすぎて充実感がなかったり足腰が冷えているものです。
上体が突っ込んで腰が遅れるので転びやすくなったりもします。
俗に言う、地に足がつかないというのもコレですね。
意識と実際の動きがズレていると感じとれる方もいます。
そういう時は体と頭の頑張っているバランスを整えていくしかありません。
日常生活でも鍼灸の施術でも。
これから年末にかけてご自宅でのんびりお過ごしの方もいらっしゃると思います。
エアコンでバッチリ温めすぎも一過性に上実下虚の状態になりやすいので要注意です。
お休みの時ほど適度に体を動かすことをオススメします。
私もやりたいことが沢山あるので、しっかり動きたいと思います。
当たり前のことだけどなかなかね~なこと
やりすぎたらへらす。
いきすぎたらもどす。
改めて言うことでもないですが、これが原則です。
それで心も体もバランスをとっています。
でも、なかなか難しいですよね。
働きすぎたら休む、とか、簡単に出来たら苦労はないわけで。
そう出来ないからいろんな問題が出ているのですから。
自分自身、「ちょっと休んだら?」ってよく言われるので人のことは言えないかな。
でも、あえて、、、
例えば、食べ過ぎたらしばらく食べるのを減らす、とか。
これが出来ていれば問題ないのですが
「頭では分かっているんだけどね~」
となることも多いものです。
私もたまにそんなことがあります。。。
食事以外でも同じことですよね。
買いすぎたらしばらくひかえる。
これができるから生活が成り立ちます。
欲の持つチカラは強いです。
食べすぎ、買いすぎ、遊びすぎ、、、
これらはまだ分かりやすいです。
欲という表現ですぐ理解できます。
これが明らかな欲を感じないままやっていることだと修正は難しくなります。
例えば、姿勢。
同じ姿勢を続けていればどこかが痛くなります。
「その姿勢を続けちゃまずいよ」
というサインとしての痛みです。
どんなに見た目綺麗に感じるような姿勢だったとしても、ずっと同じ位置で同じ姿勢を続けることはできません。
どこかに不具合が出てきます。
姿勢は外からの見た目だけでは分からないこともあります。
また、生活する中での姿勢にとって筋肉は重要ですが、筋力で成り立つものではありません。
同じ姿勢を長くとっていても平気な方は、そこが自然にできています。
無意識の積み重ねが不調につながっていることは多いです。
肩こりや腰痛、頭痛など痛みだけでなく、冷え症やお腹の不調などとも関連していることがあります。
それに、仕事や育児、介護などでは「悪いと気づいても修正できない」こともありますし。
背中を丸めてパソコンを使っていたらときどき背中を伸ばす。
指を曲げて仕事をしていたらときどき指を伸ばす。
上を見上げて仕事をしていたらときどき下を向く。
股関節や膝を曲げて仕事をしていたらときどき股関節や膝を伸ばす。
立ちっぱなしでいたらときどき座る。
休日にゴロゴロしたら午後は動く。
食べ過ぎたら減らす。
じーっと考えすぎたら動く。
1つ1つあげていたらキリがありませんよね。
忘れてしまった本来の姿勢のあり方を取り戻すのが大切です。
自分の軸と中心を。
知識でなく感覚として。
私は食べ過ぎることもありますし、パソコンやスマホを長時間使うこともありますし、仕事中はほとんど休みをとりません。
現実には無理をしてやらないといけないことがたくさんあります。
でもそれは、どこかでバランスをとるようにしているからできることです。
何事も完璧にこなせる人なんかいません。
自分を完璧にコントロールできる人もいません。
*私にはできませんし、これまで会ったこともありませんが、もしいらしたら申し訳ありません。
どこかでバランスをとればいい。
自分なりに。
鍼灸+αでそのお手伝いを。
そんなふうに思っています。
花粉症と自律神経
花粉症。
花粉症は日本に限った病気ではありませんが、これから日本ではもっと増えるだろうなと感じます。
スギ花粉、ヒノキ花粉、ブタクサ花粉、、、
統計的にもそうですが、実感として強く感じます。
厄介なものです。
花粉症は文字通り
「何らかの花粉に対するアレルギー反応」
ただ、花粉だけではないから問題がややこしいんですよね。
問題が花粉だけなら、花粉を吸い込まなければ症状は出ないワケです。
が、、、
実際はそうじゃないですよね。
どんなに気を使って花粉をシャットアウトしてもクシャミや鼻水が出てしまうことがあります。
鼻や喉の粘膜が敏感になっているからということもありますが、、、
[モーニングアタック]
花粉症の症状に悩まされている方はモーニングアタックという言葉を聞いたことがあるかもしれません。
モーニングアタックは、起床時に鼻水やクシャミなどの花粉症症状が強く出ることを言います。
ただし、一過性であり、数分くらいで強い症状はおさまってきます。
なぜモーニングアタックが起こるか諸説ありますが、その中の1つに自律神経の関与があるようです。
他に就寝前に部屋に飛散していた花粉が寝ている間に舞い降りてくるから起床時に症状が出るという説もあり、この説はよくテレビなどでも言われていますが、、、
正直、私は疑っています。
何故疑っているかと言うと、モーニングアタック様の症状は朝だけとは限らないからです。
当院にご来院された方々からお話を聞いていると、仕事の昼休みにウトウトしていても目が覚めた時にモーニングアタック様の症状が出ることが多いようです。
電車で寝落ちした後とか。。。
ウトウトしていなくても、ふとした時に鼻水がドバーッと出てきたり。
職場なら昼休みでも人の動きがあり、自宅の自室のように花粉が静かに舞い降りてきません。
人が動くとともに花粉も舞います。
そう考えていくと、舞い降りてくる花粉の影響よりも自律神経との関わりが深いように思えます。
本当はどうなんでしょうかね。
睡眠から目覚める際は自律神経に大きな変化が出ます。
体はバランスをとろうとしますから、そのうちに交感神経と副交感神経のバランスが自然に整ってきます。
これに合わせてモーニングアタックの症状もおさまってくると考える方が自然な気がするんですけどね。
このような仕組みだとすると、いつモーニングアタック様の症状が起きても不思議ではありません。
食事後も体が大きく変化する時ですし(実際は食事中から)、生活の中で何らかの精神的なストレスやプレッシャーがかかった時も同じです。
生活のリズムを整えるなど、生活習慣を変えることで花粉症の症状が軽減することが多いのも頷けます。
自慢にもなりませんが、、、
私自身の経験として過去に夜更かし偏食暴飲暴食を繰り返していた時期が数年ありましたが、その間に見事に花粉症を発症しました。
自己弁護しておきますが(笑)、夜更かしは勉強や研究のためにしていたんですよ。
今も仕事終わりが遅いため読書や研究に当てるのは夜中です。
なので、変わらず睡眠時間は短いですが暴飲暴食はしません。
体は正直で、花粉症の症状はここ数年ほとんど出なくなりました。
多少症状が出ても自分で鍼なりやれば解消できるくらいです。
むしろ、花粉のシーズンが楽しみなほどです。
来年は完全に出なくなるかな~と思って今から楽しみです。
本当に基本的なことですが、、、
できる範囲でいい
自分で決めて生活のリズムを変えていくと体は大きく変わります。
冬と寒とコタツ
師走ですね。
今年も残すところあと1ヶ月になり、冬を感じる今日この頃。
畳にコタツが懐かしいです。
今の住まいにはどちらもないんですよね~
さて、冬と言えば「寒」です。
普通は「さむい」とか「さむさ」とか言いますよね。
中医学では「かん=寒」です。
中医学の言葉に「六気」というのがあり、六の気は「風寒暑湿燥火」の6つことです。
何かの呪文のようですね。
この風寒暑湿燥火は、風、寒、暑、湿、燥、火にわかれます。
だから六気。
これは季節と結びついています。
例えば、風は春、寒は冬、暑は夏、というように。
この六気は自然の営みですから、これ自体問題にはなりません。
ただし、これが異常気象のような通常の気候から外れて起こると体調の問題として現れてきます。
冬が寒いのは当たり前ですが、異常な寒波が到来した時などがそれに当たります。
そういう急激な変化が起きた時は体調を崩しやすかったりしますよね。
そういう外的な悪影響を考える時に「六淫」という言葉を使います。
風邪、寒邪、暑邪、湿邪、燥邪、火邪というふうに、6つの外的な要素を表します。
この六淫のように人間が生きていく上で必ず影響を受ける外的な要素があります。
ただし、この影響は「悪」だけでなく「良」もあります。
一年を通した人の体の変化をみても、これらの気候の変化が大切になってくることがあります。
そして、人は外的な要素に耐えられるだけのものが本来備わっています。
織物などの技術が既に確立されていた江戸時代ですら、冬のさなかに相当な薄着で過ごしていたようですし(特に男性は)。
厚手の防寒着などを作ろうと思えば作れたはずなのに。
現代人がそうできないわけではありません。
過ごし方によってはそういう心身を取り戻すこともできます。
もちろん、いきなりやったら心身ともにもちませんし、私はエアコンなどの便利な家電を否定するつもりもありません。
ただ、夏が暑く冬が寒いのは当然のことで、それにずっと適応できていた歴史があり、なぜ今はそうでなくなったのかを考えていく必要があると思います。
こむつかしく書きましたが、自然には逆らえないってことですね。
ひとまず今夜は鍋かな~
肩こりというかたまり
今日は私なりにいろいろ思うところがありました。
鍼灸師として、人として。
私は私にできることを。
思いを繋ぐこと。
言葉で繋ぐこと。
行動で繋ぐこと。
やらなくてはならないこと。
やりたいこと。
見つめ直していこうと思います。
さて、話は変わりますが、今日はコリ・凝りのこと。
凝り=コリ、こり。
「凝り(こり)」という表現が普通に使われるのは「肩こり」という表現をする時くらいでしょうか。
最近は「首こり」と「肩こり」を分けて言われることもあるのですが、、、
私は同じことだと考えています。
解剖学や運動学で捉えれば違うので理屈では異なるものですが、一連の施術の中では同じことです。
どちらにしてもその凝りが改善するかしないかということですから。
「凝り」は体の他の部分にはあまり使いません。
腰がかたい、とか、腰が痛い、とかはありますけど。
また、肘など上半身には「凝り」という表現が使われますが、下半身の膝や足などはほとんど使われません。
さて、ここまで書いてきたのは物理的に「かたい」状態としての凝りですが、凝りという表現にはそれとは違う要素も入ってきます。
それは
感情
肩こり、腰のこり、肘のこり、、、
こんな表現がされた時は何らかの感情が伴っているように感じます。
息苦しいような肩こり
煩わしく感じる肩こり
切り取ってしまいたいような肩こり
肩こりを感じない人からすると「切り取りたいなんてあるの?」となるかもしれませんが、そんな表現をされる方は結構いらっしゃいます。
そのくらい地味につらいのが凝りなんですよね。
感じる凝りと感じない凝りがある
で、感じる凝りは「煩わしい」という気分がセットになっていることが多いように思います。
だからこそ、凝りが無くなった時は気持ちの面でも楽になったりするものなんですよね。